芦別高校の生い立ち(2)
実科高等女学校として産声を上げた芦別高校。昭和23年度から新制の高校として再スタートを切りました。
2.新制高校(北海道芦別高等学校)設立当初
本校は昭和23年度よりそれまでの高等女学校から新制高校「北海道芦別高等学校」に昇格となりました。この当時の様子を三十年史では次のように伝えています。
■高等学校の設置
議案第○○号
新制高等学校の設置について
町立芦別高等女学校を新制高等学校に昇格させるものとする。
昭和23年3月18日 芦別町長
<理由>
新学制の実施により旧制の高等女学校は廃止されるので、中学校卒業生徒を進学させるための新制高等学校の設立をするのである。
これは昭和23年3月31日法律第26号学校教育法に伴う措置であるが、従来の北海道芦別高等女学校は高等学校に変わったが校舎は芦別小学校に併置の状態であったため、町理事者、議員、各小中学校PTA会長、学議経験者を以って「北海道芦別高等学校設置建設期成委員会」を町理事者が設置し、各方面の準備が行われた。
■校地買収
学校敷地については四筆二町歩旧国有農地一時貸付規則第6条の規定により借受申請を昭和24年3月に行い校舎建築に着手したことになっているが、この土地は元大心寺所有のものであり、昭和22年12月自作農創設特別措置法により国が買収したものを、耕作権を持っていた南部金呉氏と23年9月交渉が持たれ、離作料を支払って工事に着手している。その後昭和25年4月より11月までの間に他の三氏との間に交渉が持たれ、それぞれ町が買収し現在の敷地を形成した。
■校舎
校舎建築については、町議会の決議に基づき昭和23年度より着手、生徒の増員分を見合わせながら、昭和27年には一応の完成をみているが、その後機械科教室増築工事、普通教室増築工事、体育館床張り、校舎内壁の補修等昭和30年度までに毎年工事が継続されている。
加えて啓南校舎の創立に伴う4教室の増築が31年度中に行われ、昭和32年5月2日に現在もなお啓南校舎と表現されている校舎が完成した。
そして、昭和35年度の20周年記念行事として4月27日より体育館の増築工事が行われ、ほぼ現在の校舎を形成するに至った。
■道立移管
昭和23年秋から校舎の建設にとりかかり、昭和24年6月30日に移転、昭和25年4月1日付けで道立移管となったのを見ていると、極めてスムーズに運ばれているが、この裏には町理事者のなみなみならぬ努力があった。 ・・・<以下略>・・・
■創立期の教育課程
終戦後の日本の教育改革のもとに、昭和22年新制高校が発足したが、本校は昭和23年度より町立芦別高等学校として創立したのである。発足当時の教育課程は、職員、校舎、生徒などの関係から混沌たるものがあった。よって、当初23年の教育課程は型として表されていない。翌24年の教育課程より次第に型を整えてきた。昭和26年の教育課程にいたって当時の学習指導要領に準拠した充実したものになった。特に、選択、必修教科の巾が大きかったのが特徴である。
(昭和26年度の学年別教育課程)
(注;3年のB群の選択科目については記述が残っていません)
*この資料から、現在の芦別高校で行っている教科選択制(群選択)は、学校設立当初からの長い伝統であることが伺えます。現在実施している教育課程と、上記の昭和26年度教育課程は、基本的なコンセプトがほとんど同じといえます。
*文中の「啓南校舎」について・・・昭和32年度に芦別啓南(けいなん)高校(のちの北海道芦別商業高校)が設立されましたが、当初校舎がなく、芦別高校校舎の一部を啓南高校として利用していた時期がありました。上芦別に啓南高校校舎が完成した後も、「啓南校舎」はそのまま残り芦別高校の校舎として活用されたようです。
*当時の様子*
学校祭・仮装行列 (昭和35年)
体育館増築工事 (昭和35年)
授業の様子 (昭和31年)